どうする?東京


今回のテーマ


2012年6月
切り開け! 東京農業最前線


東京で育まれた新鮮な野菜。今回は都市農業の取り組みに注目。
少ない農地で都市の農家はいかに収益を上げているのか。東京で栽培されている「野菜」を中心に、様々な人の取り組みをご紹介します。江戸東京野菜とは?援農ボランティアとは…?


●東京で育まれてきた野菜栽培



・都市に残されている農地
練馬区の住宅街。目の前に広がる緑の絨毯。と思いきや、実は広大なキャベツ畑。
なんと、200年以上も受け継がれてきたといわれる農地!
この土地を守り続けてきたIさんのお言葉によると、学校2校分はあるとか。

・東京の野菜栽培を江戸時代までさかのぼってみると…
当時江戸は、全国から参勤交代で出仕する人々や、働き口を求める人などで賑わっていました。
一説によると、人口の増加やそれにともなう野菜不足などの社会事情を背景に、日本各地から野菜の種が持ち込まれ、栽培されるようになったそうです。
元来、東京は野菜づくりが盛んな場所だった、というわけです。


●狭い農地で収益の向上を目指す



時代は変わり、現在。都市化の影響で減少を続けた農地。困った状況に。
いったい、都市の農家はどうやって農業の収益を上げているのか・・・?
その答えの一つが・・・、

「ビニールハウス栽培」 (江戸川区 農家Kさんの“小松菜”の場合)
そもそも、ビニールハウスの利点とは、

・冬は、寒い外気を遮断し保温することで、成長を促し収穫量を増やす。
・夏は、雨を遮断し適量の水をやることでゆっくりと太らせながら、成長させることができる。

これは優れモノだ!

収益をあげるための秘策、ビニールハウスだけはありません。

東京産の野菜に個性を見出し、市場に売り出す。いわば、ブランドとしての“東京野菜”!

「江戸東京野菜」

江戸時代から作られてきた東京の野菜。残された貴重な種で育てた野菜を“江戸東野菜“と名付け広めようという活動が続いてきました。
まさに、伝統の復活!
現在、22品目が復活を果たしています。 数こそ少ないが、頑張っている江戸東京野菜たち。

大竹道茂さん
20年以上普及活動を続けてきた、江戸東京野菜の生き字引のようなお方。
苦労を重ね農家を説得し、徐々に浸透させていきました。

「江戸の食文化を伝えたい」という熱い思いは、今若い農家にも引き継がれています。

木村農園の木村さん
今回見せてくれたのは…

江戸東京野菜の「亀戸大根」。

小さくて個性豊かな亀戸大根は、育て方も個性的。収穫時期もバラバラ。
でもビタミンCは、普通の青首大根のなんと2倍もあるとか。
この亀戸大根、調理方法もいろいろ。料理を引き立て、生でもいけます!


●産業としての農業を支える



都市農業を持続させていく上で、いったいどのような取り組みが行われているのか・・・?

「立川市 東京都農林総合研究センター」

取り上げたのは、ブルーベリーの品種改良。
実は、東京で栽培しているんです。小平市のブルーベリー栽培は得に有名。
さらに良い品種をと農家からの期待を背負い、日夜研究を続けています。

敷地の広いセンターの一角にある実験農地。覗いてみると…、

東京でよりおいしいブルーベリーを作れるように、夏に強い品種との掛け合わせが行われていました。いわゆる、「交配」。

人工的に行う品種改良、実験過程も実にデリケート。

  1. 交配後の若い実を早いうちに採取。
  2. 無菌状態に近い「植物バイテク実験室」で“胚珠”を取り出す。
  3. “胚珠”を栄養分の入った「培地」に移動。
  4. 厳重に温度管理された「培養室」で待つことおよそ2週間。
  5. ここで、ようやく土に戻されます。

…が、これだけ手間隙をかけても、思い通りにいくとは限りません。
今まで、このような組み合わせを1000回以上!も試してきたとか。
これは大変な作業だ!!

苦労を重ねて育てられた期待の品種。この先も、まだまだ品質の試験が待っています。
研究スタッフの努力に脱帽。

「NPO たがやす」

人手不足に悩む農家のサポートを行っています。
いわば、東京農業界の人材派遣、といったところか。

後継者不足は都市農業でも特に大きな問題。
一方で、農業に触れたいという体験希望者が増えているのも都会の特徴。
この二つ事情を結び付けることに目をつけたのが、“たがやす”のスゴイところ。

代表のSさん曰く、
「登録されたボランティアの数は、ここ10年で、100人!近くにもなった」とか。

「援農ボランティア」

“たがやす”が結びつけた、農家とボランティア。まさに両者のキューピットならぬ、かけ橋。

人と人との交流も、東京の農業を支えています。


●生産者から消費者へ



東京産まれの新鮮な野菜。
様々な方の手により、私たちの食卓へ運ばれます。
日頃、食事の際にはなかなか生産者の顔は浮かばないもの。

ところが、こんな方法で生産者と消費者を結び付けるかたちがありました。

「中野区桃園小学校」
早朝から給食専門の流通業者長島さんから学校に届けられたのは、あの、ビニールハウスで丹念に育てられたKさんの「小松菜」。
産地が近いから、鮮度も高い!

学校で待っていたのは、栄養士の平野さん。
調理室へと運ばれる小松菜を見守ります。この日のメニューは、“小松菜と海苔の和え物”!

この平野さん、毎日の献立を決めるだけでなく、食材にまつわる様々な情報をプリントにしています。その名も、

「ランチタイムズ号外」。
さしずめ、平野さんのランチ新聞、またはランチ瓦版。
曰く、「野菜を、子供を育てるように一生懸命作っていますっていうお話を、農家の方から伺いました。農家の方の思いを子供達に伝えたいと思っています。」

号外込められているのは、食材に込められた農家の思い。
子供たちに、食べ物がいかに作られたのかを知ってもらう、平野さんの願いです。

学校給食を通じて伝える、食育。
東京産まれの野菜を、東京の人が運び、調理師し、そして食べる。
まさに、「生産者の顔が見える地産地消」、なのです。


●都会の体験農園



最近増えている、都市型の体験農園。

「農業体験農園」

体験農園とは、農家が種まきから収穫まで指導する、いわば、農業のカルチャースクール。
農業者の台所事情にも一役買っているそうです。

東京では、ここ10年間で10倍の77ヶ所にも増加。

参加する側も、農業に触れることで喜びもひとしお。
大人から子供まで楽しんで向き合える、都会ならではの新しい試み。

都市が農業を持続し、独自に切り開いていく可能性は、まだまだありそうです。




今月の「どうす湯」


今月の銭湯のツボ
銭湯も江戸時代にさかのぼると、意外や意外な発見だらけ。
そもそも“浴槽”なんてものもができたのも、江戸の中後半期に出来たらしく、当初は蒸し風呂のようなお風呂だったそうな。
自宅にお風呂があるなんて人は、大きな武家屋敷かよほどの富豪。
ほとんどの人は銭湯、当時では「湯屋」と呼ばれるお風呂屋さんに通っていたわけ。

考えてみたらまだ電気は通ってないし、夜はどうしていたのだろう…、とか、
幕府が混浴禁止にするまでは、日夜、混浴の日々。えーーーーー!と今では考えられません。
いろんな意味で社交場となっていたのでしょう。

江戸大衆文化や風俗をひもとく上で、「銭湯」は重要なカギになりそうです。
いつの日か、「平成の銭湯」が語られる日も来るのでしょうか…。
3丁目のナントカみたいにね。