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あなたはどうしますか? 変わる「葬送」の今

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2010年4月10日


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 亡くなった人に別れを告げる『葬送』――。少子化の影響や自然回帰志向などを受けて、葬送を取り巻く環境が変わってきています。キーワードは「自分らしさ」です。葬送の“今”を取材しました。

 桜が満開となった4月3日、町田市の霊園では桜の木の下で死者を弔う合同慰霊祭『桜葬メモリアル』が行われました。およそ300人が賛美歌を歌ったり散華(さんげ)という儀式を行ったりしながら、芝の下に眠る400人を偲びました。この「桜葬」とは、木や花をシンボルとしたお墓「樹木葬墓地」の一つで、墓石や囲いがない点が特徴です。20年ほど前から葬送に関する情報提供や相談を行ってきたNPO法人エンディングセンターが5年前に始めました。エンディングセンターの井上治代代表は「私たちは、日本人にとって樹木を代表するものはやっぱり桜しかないだろうと考えた。桜は枝も張り、根も張るので大きな桜の下にみんなで眠るという形が適している。東京、都市部の樹木葬にぴったりではないか」といいます。井上さんの調査によると、樹木葬墓地を選んだ一番の理由に「自然に還ることができる」が挙げられ(76.5%)、「継承者がいなくてもいい」(43.7%)が次に続きます。そういった声を背景に桜葬の現在の会員はおよそ1000人で、第1期、2期販売の610区画は2年で完売したことから、去年1300区画を新設しました。
 先月、その新たな墓地に圓井さん一家が訪れました。この日は、2月に95歳で亡くなった圓井七良さんの四十九日です。地面には深さ50センチの穴が掘られ、お経を読む声が響く中、遺骨が埋葬されました。桜葬を選んだのは妻のセイ子さんです。娘の敏美さんと相談して、夫の死を機に夫婦2人分、隣同士を契約しました。娘の敏美さんは「娘2人姉妹なので、結局父と母で、あと墓守がいない」「縁のあるお寺さんで永代供養してもらうよりも土に還った方がいいんじゃないか」と話し、セイ子さんも「(夫は)喜んでいることでしょう」と話します。
 子どもに負担をかけたくないと夫婦で契約する人は多く、メモリアルで司会を務めた徳田睦子さんもその1人です。徳田さんは「夫の方には代々のお墓があるが(北海道で)遠い。何か考えておかないといけないという思いが夫婦2人にはあったので、こういった機会で『どうかしら』と言ったら夫も大賛成をしてくれた」といいます。『桜の樹の下には死者が眠る』という梶井基次郎の短編小説を読んで、桜の下に埋葬されることが夢だったという徳田さんは、今ではメモリアルの実行委員会に参加するなど積極的に活動し、桜葬を通して山根千代さんと知り合いました。2人は将来、共にこの桜の下で眠ることから、お互いを『墓友(はかとも)』と呼んでいます。亡くなった夫が桜が好きだったことから桜葬を選んだ山根さんにとって徳田さんは心強い存在です。山根さんは「生きている間はわいわい一緒に過ごして亡くなってから1人で冷たい石の囲いの中…ではなくて、将来は大きな木になるだろうというその中で、のびのび眠れたらいいなあと思っています」と話し、井上さんも「『ゆるやかな共同性』と言っているんですが、私たちのお墓は1人で入ってもいいし、ご夫婦でも、親族でなくてもいいし、友達同士でもいいし、いろいろな形で開かれたお墓。思いを同じくして同じ木の下に眠る人たちが、家族も含めお隣同士仲良く眠ったり、眠る前は供養したりというような形で年1回、桜の咲くころに『桜葬メモリアル』というものをやっているんです」と話します。
 こうした動きを背景に、都立霊園でも樹木葬墓地を導入しようという動きがあります。費用やアクセスの面で公募の平均倍率がおよそ12倍と人気の都立霊園ですが、財源や面積の面から新設の予定はありません。一方で、継承者がいない無縁墓所の数は8年間で1600件にも上ります。樹木葬墓地は墓地全体を緑化できる点や、1つの区画の面積が小さいため省スペース化が可能なことから、無縁墓所の跡地に導入しようという計画です。都・建設局公園緑地部では「都内に大きな土地を確保して新しい都立霊園を造るというのは非常に困難なので、今ある霊園の面積の中でどうやって効率的にお墓をつくっていけるか」だとしています。
 都内で1年間に新たに必要となる墓は推計で2万基なのに対し、供給数は年およそ6000基にとどまっています。限られた土地に大勢が埋葬される樹木葬墓地は都市部でさらに広がりを見せるかもしれません。
立川市に住む勝野愛裕さん。去年4月、母の加代さんを10年の闘病生活の末亡くしました。せめて死んでからは自由になりたいと希望した加代さんのため、勝野さんは、散骨ができる無人島、島根県のカズラ島に行き、
加代さんの遺灰を山に撒いて弔いました。
 しかし、遺灰を撒くだけでは手元に何も残らないことや、自衛官という仕事柄転勤が多いことから、
勝野さんは残った加代さんの骨で、手元に置くことができる遺石(いせき)という石を作りました。
 勝野さんは「母が散骨をして欲しいということで散骨することにしたのですが、手元に何もないのもさびしいので、私もいずれ転勤というのがあるとなると(お墓参りは)厳しいかなというのもあるので、(遺石を)一緒に持っていかれると安心というのはありますよね。お墓だと心配なときもありますけれど」と話しました。
 亡くなった人の遺骨や遺灰の一部を加工するなどして身近に置いておくことを「手元供養」といい、ペンダントや置物などさまざまな種類があります。
勝野さんがもつ「遺石」は、板橋区にある戸田葬祭場でつくられました。
戸田葬祭場によりますと、何も混ぜずに遺骨のみで石にする技術は全国でもここだけで『究極の手元供養』とうたっています。人によって骨の成分が違うため、遺石の色も異なり、故人の個性が表現されるといいます。
  一方、こちらの場所は遺族の立会いのもと、火葬したあとの遺骨を細かくすることができる「立会い粉骨」を行われる場所になっています。
骨を細かくパウダー状にする過程をみることは、遺族が死を受け入れる時間にもなると6年前から始めました。
戸田葬祭場は、「すべての方がお墓に供養されるということもなくなってきている現状で、散骨される方、納骨するのにお墓が小さくて納めきれないという方が多い。粉骨にしても遺石にしてもこれからどんどんお客様、家族の需要が増えていくのでは」と話します。
 散骨に手元供養。葬送のスタイルも、さまざまな広がりを見せています。