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東京に生きる難民

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2010年11月26日


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 きょうは『難民』についてお伝えします。あらためて言葉の定義ですが『難民』とは『内戦や戦争、宗教や政治的立場の違いで迫害を受け他の国に逃れた人』を指します。『難民』という言葉になじみがない方も多いと思いますが、決して遠い存在ではありません。今日は東京で暮らす難民についてお伝えします。
 「現実に今問題が起きているんですよ。生活の中でわずか1ヵ月も経たないうちに色んな問題が発生しています。真剣に私達の町はどうしたらいいかと」…難民問題に関する会合でこう訴えるのはミャンマーの難民27人が住んでいる街の住民です。
 日本はこの秋、母国に戻れない難民を避難先以外の国が受け入れる『第三国定住』の制度をアジアで初めて導入しました。タイのメーラ難民キャンプからミャンマー難民5家族27人を受け入れました。ミャンマー難民は半年間、新宿区のマンションに住みながら生活や仕事に必要な日本語を学んだり、ゴミの捨て方など生活習慣についてのガイダンスを受け日本での自立した生活に備えます。難民を受け入れた地域の人達は、彼らが早く日本の生活に慣れて地域に溶け込めるようイベントや会合に参加してほしいと呼びかけますが思うようにいきません。ミャンマーの難民27人が住んでいる街の住民は「学校に入る問題とかいろいろ話しているんですけど、外務省や難民協会の方がそういうことはしないでくれと盛んに言われるんですよ。私なんか不思議だなと」と話します。プライバシー保護などの理由から来日した難民の名前も年齢も非公開です。地域の住民が直接、接することも難しいと言われ“秘密のベール”に包まれた新しい住民に対して、地域の人達はどう接していいのか戸惑いを隠せないといいます。
 一方、すでに長く日本に滞在する難民もいます。江東区亀戸に暮らすミャンマー人のチュチュさん一家です。大学2年生の時に民主化デモに参加し、10年前に祖国を逃れてきました。おととし法務省から難民として認定されました。夫のミャトゥさんは元ミャンマー代表のバレーボール選手です。妻、チュチュさんと同じく学生時代にデモに参加し、亡命後、日本で知り合いました。今は小学校2年生の長男マラくんと保育園に通う3歳の長女モンちゃんの4人で暮らしています。朝7時半、まずチュチュさんがアルバイトに出かけます。家族が「ママ、いってらっしゃい。気をつけてね」と見送ります。チュチュさんは自宅近くのスーパーで朝8時から昼2時までアルバイトをしています。仕事は飲料水などの品出し作業です。お店のチラシを見ながら牛乳などを棚に並べていきます。一方、長女モンちゃんを保育園に送り届けるのは夫・ミャトゥさんの役目です。そのあとはすぐに仕事場へむかいます。ミャトゥさんは2つのアルバイトを掛け持ちしています。朝10時から仕込などを中心に和食レストランで、夕方から夜11時までは沖縄料理店で働きます。元運動選手のミャトゥさんは日本にくるまで料理をしたことがありませんでしたが、今では慣れた手つきで仕込みをします。バイト先の店長はミャトゥさんのことを「まじめで遅刻もまったくしない」と話します。
 そんなチュチュさん夫婦の希望の星は2人の子どもたちです。日本で生まれたモンちゃんにミャンマーの音楽番組を見せ少しでもミャンマー語を学んでほしいと願っています。ミャトゥさんは「(子どもは)日本語です。ミャンマー語しゃべるけどあんまりしゃべらない」と話します。夢はサッカー選手という長男のマラ君のために生活費を削って毎週1回、サッカー教室に通わせています。父親譲りでスポーツ好きのマラ君。しかし、友達がある日はなった「難民の子どもは日本でサッカー選手になれない」という一言に傷ついたと言います。チュチュさんは「日本人じゃないから日本のサッカーチームには入れない。子どもがかわいそう」と話します。
 周囲の無理解が難民を傷つけることは他にもあります。チュチュさんは明るい性格とおしゃべり好きで日本語もあっという間に上達し、日本でも大勢の友達ができたといいます。しかし、全ての難民が地域に溶け込めているわけではないといいます。チュチュさんは「他の難民たちは周りの友達と日本語が通じない。うまくいかない」と話し、“今幸せですか”という問いに対して「…まだ分からないです。答えが出ないです。そういう言葉のように幸せになれればいいと思います」と答えました。

 難民支援を続けて12年になるNPO法人・難民支援協会が新宿区四谷にあります。ここで扱っているのは、難民それぞれの生活上の問題から難民申請などの法的手続きまで幅広い総合支援です。正職員12人とボランティア、学生インターンが運営に当たります。事務所には緊急時に駆け込んでくる難民に対応できるよう古着、お米、シャンプー、歯ブラシ、紙おむつなどの日用品を用意しています。また仕事を探す難民のために面接用のジャケット、子供づれで相談にくる難民家族のためには絵本もあります。
 家がない、病気など急を要する相談は突然やってきます。この日も、午後2時すぎから助けを求める難民からの電話がひっきりなしにかかってくるようになりました。突然、スタッフの1人が急いで事務所を出て行きます。支援協会の事務所へ来たいのに場所が分からず道に迷ってしまった難民を迎えに行くのです。スタッフは「(こういうことは) 時々あります。来たことあるけれど覚えていないとか」と話します。男性はカメルーン人でした。かつてのフランスとイギリスの植民地からなるカメルーンでは、旧フランス系政府の弾圧をうけた旧イギリス系住民が祖国を逃れ難民となっています。ただ日本では難民として認められたケースはいまのところなく、男性は今後、収容や強制送還と隣り合わせの生活を送ることになります。
 今度は日本に着いたばかりで住むところがない難民が電話をかけてきました。5日に着いてからここに来るまでホームレスをしていてちゃんと寝ていないということです。電話をかけてきた難民がスーツケース1つを携えて事務所を訪ねてきました。日本に到着してから宿無しの生活が続き、疲労困憊したこの男性は「とにかく寝たい」を連発します。事務所には1日に平均3、4人が訪れるといいますが、この日は短時間に10人近くが押し寄せ事務所の面談室はいっぱいになってしまいました。