*2006.04.17up*
第2回*長嶺ヤス子さん 第2回*長嶺ヤス子さん「紫外線は朝から、曇った日も浴びている」

――― 長嶺さんの踊りはジャンルみたいなものを飛び越えた感じですよね。

あんまりかたちを考えたことがないのね。幕が開いたら無になっちゃうの。

――― すごいですね。でも感性だけじゃなくて、非常に計算された演出という感じも受けました。

そうかもね、私の踊りって数学的で計算されてるって言われるの。 アドリブで踊っているみたいでも計算されてるって。

――― そこがオリジナリティにつながっているんでしょうか。

そうかもしれないわね。すごい計算してるのよ。 例えば音楽、私が三味線弾けたらね、千回くらい聞いてその曲を弾けるようになるくらい覚えるの。 頭でも体でも覚えるの。 ひとつの言葉を5分で言う「う〜」っていうお経でも、わたしにはわかるの。

――― その情熱は踊り以外にも向いていたりしますか。

かわいいメルヘン的な絵を描くのが好きなの。 それでね、たくさん描いて売ってるの。 個展をプランタンで17年間やってきたし、カレンダーも毎年出しているの。

――― 長嶺さんご自身がそのメルヘンから抜け出てきたような印象です。

実は私ね、お友だちに壊れたアンティークドールって言われるの。

――― 壊れたアンティークドールですか(笑)

そうなの。 なぜって、お友だちがね、みんな私にお洋服をたくさんくれるのよ。 わざわざ私にって買っておいたものとか、1度2度着て飽きたものとかね。 でも、もらったものは必ず似合うとは限らないでしょ。 そうすると2.3枚重ねてアレンジして着ると似合うわけ。 スカートなんか3枚くらい重ねてきちゃうわけ。 だから壊れたアンティークドール(笑) 第2回*長嶺ヤス子さん

――― アンティークドールといえばいつも素敵なお帽子が印象的ですが、お好きなんですか?

そうなの。好きだから注文で作ったり、プレーンなものを買ってきて自分でお花つけたりいろいろするの。 自分でもすごく上手にできるのよ。売ったらとすすめる人もいるくらい。

――― 帽子は紫外線対策みたいなことも考えていますか?

うん。基本的には帽子が好きだからなんだけど、紫外線はあたし嫌なのね。 しみができる体質だから、日焼け止めクリームちゃんとつけて帽子かぶって紫外線対策してるの。

――― なるほど。日中はしっかりと紫外線対策していらっしゃるんですね。  そのほかに朝起きてメイクの時とか、夜お化粧を落とすときとか、特に気にしてることはありますか?

私、メイクすると肌が荒れるイメージがあって、なるべく朝起きてから遅い時間にメイクしたいと思うの。 だけど、紫外線は朝から、しかも曇った日も浴びているんですって。 だから仕方がないから起きて、1時間くらいそのままにしてからお化粧するの。 お化粧って言っても日焼け止めクリーム塗るだけ。 出かけるときはその上にちゃんとメイクするけど。しみになるし焼けるのがいやなの。

――― プロティア・ジャパンのエンビロンはビタミンをたっぷり配合した、  紫外線の対策もしみの対策もできるスキンケアなんですよ。

あら、素敵。とても興味あるわ。

――― お肌にも食生活にも関係すると思いますが、ビタミンとかもやっぱり関心がありますか?

ありますね。 野菜をうんと食べてるからトマトとかキャベツとかものすごく食べるの、 だからそれでビタミンが摂れているんじゃないかしら。

――― さすがですね。長嶺さんは白いお肌をビタミンたっぷりの野菜で守っているんですね。  これからはエンビロンのビタミン配合クリームでますます輝いてください。

ありがとう。使ってみるわ。

――― 本日はビタミンいっぱいの楽しいお話をありがとうございました。

インタビュー/テキスト 篠藤ゆり

Profile

長嶺ヤス子-ながみねやすこ-

第2回*長嶺ヤス子さん 1936年 会津若松市出身。 3歳の頃からモダンバレエを学ぶ。19歳の時、故・河上鈴子門下生となり、スペイン舞踊に進む。
1960年 在学中の青山学院を中退し、単身マドリッドに留学する。血みどろの修行を経て、スペイン随一といわれるタブラオ・コラル・デ・ラ・モレリアに日本人として初めて出演し、絶賛を浴びる。
1975年 NHKホールでスペインの国民的詩人ガルシア・ロルカの長編詩「イグナシオ・サンチェス・メヒーアスへの哀歌」の舞踊化に挑戦。一人の闘牛士の生と死を踊って、芸術祭優秀賞と舞踊批評家協会賞を受賞。
1977年 「サロメ」では、女の魔性とエロティシズムの大胆な表現に成功してゴールデンアロー賞を受賞。以後、ロック、アフロ、サンバなどとその創作意欲は留まるところを知らず、国境を超え、民族の別なく、その血とリズムを吸収しながら独自の世界を創り始める。
1980年 母なる日本に回帰し「道成寺」に挑む。形骸化しつつある古典舞踊を現代に蘇生させた踊りと絶賛を浴び、芸術祭大賞に輝いた。
1982年 宿願のニューヨークのリンカーンセンターで「道成寺」を再演し、3000名を超える観客を魅了。“東洋と西洋を結ぶ踊り”と評され、国際的ダンサーとしての評価を得る。
1983年 50人の僧侶による声明をバックに、人間の原罪と救済を追及した「曼陀羅」を上演。翌年、ニューヨークで再演し大反響を巻き起こした。
1985年 「鷺娘」
1986年 「鬼婆」
1987年 「安達ヶ原」「浮世風呂」と伝統的な世界へオリジナルな発想をもって取り組み、注目を集める。
1988年 創作フラメンコ「ある恋の物語」
1989年 能の「鐡輪」、「オイディプスを愛して」
1990年 「うきふね」国立劇場、「ローレライ」中野サンプラザ
1991年 「羅生門」国立劇場、「メドゥーサ」中野サンプラザ
1992年 「雨月物語」国立劇場、「くろいわらべ唄」中野サンプラザ
1993年 「卒塔婆小町」国立劇場とニューヨーク・エクイタブルシアター「宇受女」中野サンプラザ
1994年 「三国妖狐伝」国立劇場、「炎のように火のように」中野サンプラザ
1995年 再演「鬼婆」国立劇場、「裸足の伯爵婦人」中野サンプラザ
全国13ヵ所で「僧侶と托鉢 行脚の旅」を行い、寺院の庭、四条河原、公園などで踊り、話題を呼ぶ。
1996年 「櫻姫」国立劇場、「娼婦マヤ」中野サンプラザ
1997年 「滝夜叉」国立劇場、「シバ」中野サンプラザ
1998年 「名月八幡祭」国立劇場、「サンセット大通り」中野サンプラザ
1999年 「ヤス子 炎 フラメンコ」(青山・円形劇場)と題して20年ぶりにフラメンコを踊る。「三井の晩鐘」(国立劇場)「双頭の鷲」中野サンプラザ
2000年 「あるジプシーの女」(大崎ゲートシティーホール)「黒魔術の女」中野サンプラザ
2001年 「あるジプシーの女」(アートスフィア)「さいかく〜好色一代女」(国立劇場)「ジプシー」中野サンプラザ
2002年 「ガラスの糸の上で」(アートスフィア)「妖花かつらぎ」(国立劇場)「ジプシー」中野サンプラザ
2003年 「愛と死を抱きしめて〜白蛇伝」(アートスフィア)「オルフェ」中野サンプラザ
ホームページ
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